はじめに

何かを書きたい
それだけで、「hug」を書き上げました。

「hug」はスピリチャルの世界のセオリーを
書いた訳ではなく
経験を書きました。
今は、好きな分野の友達と
好きな事を楽しむ日々です。
ただ好きっていう想いだけで
様々な嬉しい出来事が
連続して起こっています。
本来住む場所
目の前にある仕事をこなす
を始めると何かが動き出す。
そう、思いました。
又、不定期ですが
何かを書いていこうと
思っていますので
その時、お会いできる事を
楽しみにしています。
「ありがとうございます」

tae




二十歳の頃、経理の部署にいた。
でも、企画部の仕事がしたかった。
まったく企画の経験なんてないのに
漠然と「やりたい」と思った。

経験がないのに、どうやって企画部に移ろうか・・
考えた結果
企画会議がある毎週土曜日
服飾デザイナーへお茶を出す時!
と、ない頭でひらめいた。

金曜日の夜
翌日着ていく服を、真剣に考えた。
お金をかけてという訳ではなく
コーディネートを考えた。

そして、土曜日。
悩みに悩んだ洋服で
最高の笑顔で
お茶出しをする。

それだけ。
それだけを
半年続けた。
  



半年過ぎた頃
デザイナーに聞かれた。
「あなた、お洋服好き?」
私「はい!」
デザイナー
「企画の仕事してみる?」
私「はい!!!」
と、いう流れから
経理→企画へ願いが叶った。
が、まったくのド素人・・・
それから
勉強しなければいけなかった。
夜間のスタイリストの学校に
通おうと思って、相談をした。
「そんなとこ行く必要ないよ!
もし勉強したいんだったら
カラーコーディネイトの
勉強だけでいいと思うよ」
とのお返事。
金額を調べたら50万近くする・・
お金は、もちろんない。
また、いろいろ考えた。

そして、社長に相談に行った。
「ボーナスを前借させて下さい」と。




社長からの返事待ちとなり、数日・・
そして、全額会社負担で
学校に行けるようになった!!
その後、この学校で私を美容道へと
導いてくれる恩師と出会う事になり
「美容のプロになりたい!!!」と
毎日思うようになっていった。




その頃の私の仕事は
デザイナーが作った洋服や
仕入れてきた洋服を
通販のカタログに載せる為に
モデルさんや、カメラマン達と
ロケやスタジオの中で
撮影を繰り返し
カタログの中の、商品コピーを
考えたりしていた。
経理の仕事をしながら
企画の仕事がしたい!と
思っていた頃からしたら
願いが叶った仕事だった。
けど・・美容の仕事がしたくて
たまらなかった・・




大きな悩みは
会社がお金を出してくれて
私は学校に、行かさせてもらっている
と、いう事・・・

それで、会社を辞めたいという事が
なかなか、言えずにいた。
今日こそ言う!と決めても
言えない日々だった。

その頃、たまたま求人情報を見ると
「東京ビューティセンター」
(現:TBC)
が載っていた。
ココに行きたい!思った私は
履歴書を送って
面接に行ってしまった・・

そして合格。
研修開始は1ヵ月後だった・・
「どうしよう」
しか言葉がなかった。
けど、会社に退職を言わないと・・・

社長に会いに行った。




社長から、怒られた・・
あたりまえだ・・
けど、もう退職の意思は変わらない。
自分のやりたい事の為だけ。
退職
最低3年間は
修行の気持ちで頑張ろう!
入社
それから
私の美容の仕事が始まった。
結婚・出産
その後も仕事を続けた。
そんな時喧嘩別れ同然だった
あの社長から
電話がかかってきた。




「エステティックサロンを始めたんだが
売上がかなり悪い。
TBCのやり方を教えてくれないか」と。
「伺います」と即答した。
昔裏切った事への
償いの気持ちもあったし
地場のサロンも見てみたかった。
サロンは最新鋭の機材と
アロマを取り入れていた。
TBCよりはるかに
お金がかかっている・・・
それから、2週間に1回
通うようになった。
その頃から
育児をしながらの仕事の限界や
子供を持った事で、気付いてきた美容というものを、考える私がいた。
何かが、自分の中で変わりだした。
育児を考えると
現場の仕事はかなり無理がある。
離婚の事も、漠然と考えるようになって
現場を離れようと決めた。
美容関係の電話カウンセラーの道を
選んだ。




直接
お客様の肌を触らない仕事になって
離婚を決意した。
24歳で結婚
26歳で出産
30歳で離婚

ものすごい勢いで、駆け抜けた20代。

振り返りながら
30代は何がしたいんだろうって
日々思うようになった。
何か、目標がなくなったような
空虚な想い・・・




そんな時
お腹が痛くなった。
初めて経験する痛み。

産婦人科にいったけど、異常なし。

翌日
又かなりの痛みが襲ってきた。
今度は同じ病院内の内科へ。
異常なし。
その夜、一晩中激しい痛みと、嘔吐。
みるみるお腹が膨れてきて
立てない。
朝、同じ病院に這うように行った

結果、卵巣が破裂して
お腹の中は、大出血をおこしていた。
遠くなる意識の中で
前日の内科医が「ごめんね」と言った。
生死の境にいたらしい。

けど、目覚めた・・




生きていた。

目覚めてからは
極度の貧血で何もできなかった。
でも、その時間は
自分を見つめなおす
大切な大切なものだった。
ペンが持てるようになって、始めた事。
自分の年表を作る、作業を始めた。
自分がやりたい事を見つける為
生きてきた証しを残したかった為

長い入院生活の中で
年表は出来上がった。
そして、退院後
行動を開始した。

美容業界に入って、
メーカーの教育しか、受けてない私。
10年目を機に、勉強をし直す!
自分のサロンを持つ!

この2つ

が、お金がないので、なるべく
お金がかからない方法を考えた。




まず、学校を調べた
どこも1年コースで100万以上。
確かに国際ライセンスの
受験資格がもらえる。
けど、私は勉強をしたいだけ。
資格を取りたい訳では、なかったので
勉強したい科目だけ、出席できる
1回1回支払う、コースを選んだ。

何回か通ったある日
校長先生に呼ばれた。
せっかくだから
200時間コースに移らないか?と。
と、言っても50万はかかる。
私が選んだ科目を見ると
200時間コースに匹敵するらしい。
それだったら、コース終了後
日本エステティック協会認定の
エステティシャンの受験資格がある
200時間コースのほうが
いいのでは?と。
確かに・・・




校長先生に
一括で払えるお金がない事を伝えた。

卒業するまでに
分割で払ってもいいとの事。

が、半年(200時間コースは半年間)で50万返済はきつかった。
それと、200時間を半年で
消化するのは、かなり困難
勉強したくない科目も、カリキュラムで入っていたので

それを、校長先生に伝えた。


すると
「いいですよ」と・・???
校長先生は
「200時間分
カリキュラムどうりでなく
自分が受けたい
好きな科目を選びなさい。
それを
1年間で卒業できるように
選びなさい。
1年間で50万を、分割でいいから」
私は、かなりわがままな
申し出をしたのに
それを認めてくれた!

その時に思った。
相手に話してみないとわからないと。

それから、学校通いが始まった。




次は
自分のサロンを持つという、目標。
まず何をするべきか・・・

サロンをオープンした時に
お客さんが必要。
オープンするまでに
現場から離れているから
現場に慣れないといけない。

で、友達に言った。
すると
「うちのお店を使っていいよ」

それから1年の間

友達のギャラリーで月に2回
「1日だけのエステティックサロン」
を始めた。
この1年間は、仕事をしながら
学校・1日だけのサロンで
休みはなくなった。
けど、楽しかった。
体もきつくなかった。




この頃の私は、きっと勢いだけで
生きていたような気がする。
つらい事があっても
悲しんでる人がいても
自分で手に入れる事だけしか
見えてなかったような
気がする。
様々なものを、手に入れてこれた。
目標が出来て、つき進む。
その間に、大切な事を
学ばずにいた代償は
その後、私に嫌というほど
覆いかぶさってきた。

2000年12月13日に
SALANがオープンした。
大好きだった空間
昔から買い集めてた雑貨
東京まで探しに行った家具
足で探し回ったマンション
全てが私のお気に入り
雑誌の取材も入り、これからという時。

大きな重い荷物が・・
圧し掛かってきた。

多額の借金が、人の借金が
重く圧し掛かってきた・・

「どうしよう」
それしか言葉がなかった。

けど、返すしかない。
SALANと他にも仕事を始めた。

お金を稼ぐ事しか考えなかった。
お金というものが
人間を変えていく。
「執着」していく。

が、それさえも気が付かない程
働いていた。




そんな時
次々に精神的ダメージを
受ける事ばかり・・

本当の自由って・・
本当の優しさって・・
本当って何だろう。

本当ってあるのだろうか・・

自分が描く未来
自分が欲しいもの

私には、わからなくなっていった。

それでも
エステの恩師に教えてもらった
何でも「ま、いっか!」と
思う事は続けた。




友達に聞かれた。
「自立って意味言える?」と。
私「自ら立つ」

すると
「違うよ、自然に立つだよ」と言われた。

この言葉を聴いて
私は全身の力が抜けた・・
甘えていいんだ。

「自立」という言葉を
初めて理解した。




弁護士さんへ相談に行った。
が、返事は
「破産する事を、お薦めします。」

「破産だけは、しません」
と答えた。

破産をすれば、どれだけ楽か・・
でも、破産だけはできなかった。
私の気持ちの上で。

が、車を買うような金額ではない
家を買うような金額だった。

債務整理をすることにした。
それでも、毎月の返済額は
何十万単位。

「絶対返そう!」心に誓った。




その頃から
私のまわりが激変していった。
今までお付き合いがあった人達が
潮が引くように、いなくなった。
そして
新しい人達の和が
少しづつ、できてきた。

その中で、出会っていった人達に
私は本当に助けられた。
初めて見たスピリチャルな世界。

本を読んだり
セッションを受けたり
1つ1つが楽しかった。




楽しい!と思う期間を経て・・・
とうとう、体を壊してしまった。
全く仕事ができない。

頭の中は
借金をどうしよう・・

又、友達に言われた。
「見栄とプライドは違うよ」と。
「今の私は見栄?」
「そう、見栄だけだよ」

決心した。
SALANを閉めて
家具や色んなものを売ろう!と。
インターネットや
フリーマーケットで売って
SALANを2003年12月に閉めた

私は全てを整理しないといけないんだ
今、そういう時なんだ
体もお金も全く自由がなくなった。
物も人も自分も整理する。
後から思えてきた・・




Kちゃん
ありがとう。
Kちゃんが、いなかったら
私は野垂れ死にしてたかも・・
あなたがいたから
今、ココに生きているのだと
思っています。
心から感謝をしています。

借金先の会社へ
1軒1軒電話をして
支払いを待ってもらった。
担当者の人と
いろいろ話をした。

体調が戻って
私は、求人雑誌を見ながら
面接に行ったりしていた。

その時、Hさんが
「なんで、できることをしないの?」と。




私にできる事・・
マッサージしかなかった。

面接に行った。
お給料は、かなり安い。
月々私が必要な金額には
到底足りない・・
けど、できることから
やって行こう。

2004年の目標は
「できることから、コツコツと」

足りない分は、遣ってはいけないお金
子供の貯金や、保険を解約したりして
補った。

そんな時、夢をみた。




IさんがKちゃんに、
5000円札を渡して
「高速代ね」と・・

夢をみた後
エンジェルカードを毎日引いた。
毎日同じカードがでる。
「引越しをするか、新しい仕事になる」

しばらくして、Iさんと会った。
Iさんは「こういう仕事があるんだけど
誰かする人いないかなぁ?」と。
「私がします!」
と、何も考えずに言った。




まったく未知の世界の仕事。
初めて聞く言葉。

面接を受けて合格した。
お給料は
マッサージのお給料の4倍になった。

助かった・・・
本当にそう思った。




マッサージやエステの仕事は
趣味でやって行こう。
会社の仕事を本業にして。
と、心に決めた途端エステの仕事が
いろいろ舞い込みだした・・・
本業は営業だから
時間の拘束がなく
いろいろ出来る・・
何かが流れだした・・・
そう思えてならない。
住む場所も
2ヶ所を、1ヶ所に絞った。
しばらくすると実家の隣の家を
破格値の家賃で
貸してもらえるようになった。




それから小さな喜びが
たくさんたくさん、やって来てくれる。
そして2005年1月末が
借金返済の最終日。
「返せる」




2004年夏は
子供と「ユニバーサルスタジオ」にも
行く事ができた。
昔大ファンだった中村あゆみが
10年ぶりに復活した、東京でのライブにも
行く事ができた。

「行きたい!」と思ったら
思いもしないところから
お金が入ってきた。
そのお金は借金返済には
当てずに、思いっきり遣った。




長い、トンネルの中で
自分に精一杯で大切な人を亡くした
自責の念。
自分を責め続ける日々。
お金の苦しさ。
その頃の
エンジェルカードや
他のカードを引いても
「お金の執着」しかでなかった。
仕事も天職と思っていた事を
意識の中で趣味に変えた途端
歯車が回りだした。
今生の私のテーマは
「お金」と「仕事」
のような気がする。




そして、人生に必要な事は
「赤毛のアン」と「わらしべ長者」
なんだなって思っている。
「好いこと探し」
「できる事をする」
すると、必ず次のステップへの
メッセージがやってくる。
私は経験をして
感じた・・
夢は叶う
願いは叶う
目の前にあるのに
思い込みで、見えないだけ・・
石頭コンコンチキだった私が
そう思う。




仕事で鹿児島に行った夜
露天風呂があった。
1人で早速入った。
脱衣所で
「今日は満天の星空かも・・」
と、期待したら
星は見えなかった。
がっかりしていると・・
突然、脱衣所もお風呂場も
電気が消えた。
びっくりしたけど
頭上には
満天の星空が広がった・・・
見せてくれた事に
感謝をしながら
思った。
願いは目の前にあるのに
ただ、自分の思い込みで
見えてないだけ、と。




だから
「諦めない」事も大切。
ただ、少し
持ち物や気持ちを整理したら
きっと
見えてくるものが
あるはず
そう思う。

そして
何かを始める前に
1番大切なことは
自分を愛すること。
できない自分を許してあげること。

生きてると
つらい事って
いっぱいあるよね?

けど、大丈夫だよ。

幸せになる為に
ココへ生まれてきたんだから!
あなたで生まれてきたんだから!







あとがき

二十歳の時「美容のプロになろう!」
って決心して
もう16年が経ちました。
少しでも、私の経験が
皆様のお役に立てたら
嬉しいです。

自分のやりたい事が
わからないというあなたへ。
頑張りすぎる、あなたへ。
すぐ自分を責めてしまう、あなたへ。
夢を叶えたい
願いを叶えたい
あなたへ。

最後にこの「hug」を
手にしてくれてありがとう。

このご縁に感謝致します。


2005年1月10日